Memory in the 1990's
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1998年度制作作品

くノ一外伝・柳生忍法帖

Kunoich1 クランクアップ撮影レポート
(1998年1月21日22日23日24日)

当初1月16日にクランクアップ予定だったこの作品は、20日早朝に特技監督 の小林浩一氏が現場より「応援要請」の携帯電話が掛かってきた事から始まりま した。
22日の夕方に撮影所で打ち合わせ、翌日より合成素材の撮影という予定で、東京からは撮影の私と照明の浜本修次氏が出向く事になりました。
新幹線は定刻に京都に到着、山陰本線に乗り換え太秦駅で降り、撮影所に行く途中、今夜お世話になるであろうビジネスホテル「太陽」を浜本氏に説明しながら我々は17時に松竹京都映画撮影所に着きました。
小沢組のスタッフはオープンセットで立ち回りの撮影中でしたが、所内には他にも「鞍馬天狗」「剣客商売」等の組も撮影中で、”どっちを向いても時代劇”状態で撮影所の活気というものを久々に見せて貰いました。
合間を縫ってプロデューサーの林哲次氏、監督の小沢仁志氏 特技監督の小林浩一氏、撮影の江原祥二氏、照明の土野(はの)宏志氏を浜本さんに慌ただしく紹介し見学モードに入りました。
すっかり陽が落ちて寒くなり、夕食という時に小林監督が「未だ終了時間が見えないのでスタッフルームで待機して」という気遣いに甘え、暖房の入った部屋で待たして貰いながら我々の明日撮影するカットを全体の画コンテから抜き取る作業を始めたのです。私と浜本さんは助手時代には劇映画もしばしば仕事しましたが、今はCMやPRの撮影が主で画コンテの枚数が数十枚に達するとお互いに顔を見合わせ絶句したのでありました。
段取りの方もHSカメラが一台しか都合出来ずに本体の芝居撮影の合間であったり16mmであったり35mmであったりと変則的な撮影になる事は予想されました。浜本さんとコンテの抜き出しや撮影の打ち合わせをしている内に午前零 時を過ぎ、京都の底冷えは、暖房装置の機能を止めてしまいました。
こんな状態でオープンセットで撮影している本体スタッフの皆さんには敬意を表したい気持ちです。しかし我々も寝る訳にもゆかず呆然自失の状態で翌朝を迎えました。ちょうど睡魔が襲ってきた時、スタッフルームの人通りが多くなり本体のオープン撮影が終了し朝食後にステージ1で撮影続行との最新情報を得たのです。
そして小林監督よりセット建込み裏でオブジェ撮影(物撮り)を並行してやって欲しいと言われ、早速準備に取り掛かりました。
初めての助手さんたちとお互いに戸惑いながら挨拶を交わし、数カット撮影が進み一見順調に思えた頃、突然「撮影中止!」の一声がありました。「何で!」は「60時間近くの労働は認められない」という撮影所上層部の判断でという事でしたが、皆23日中に全てを終了しなければならない焦りが、休める事へ素直に喜べない気持ちから「何で!」となっていたのでした。交渉の結果、撮影日を一日延長を許可する変わりに本日は中止するという事になり、試写室で昨日分のラ ッシュを見せて貰いました。(イビキの大合唱でした)
これで本日は午後はオフになり、東京スタッフは撤収後「太陽」に戻り仮眠をしました。浜本さんは24日午前9時に宮前アバコスタジオに「象印」CM撮影で戻らなければなりません。そこで夕食後の居酒屋へ浜本さんの友人である東映京都撮影所の照明部井出さんが「水戸黄門」の撮影終了後に駆け付けてくれました。
意気投合したのですが、明日お互いが早い出発なので午前零時でお開き。太陽にに戻り爆睡!翌日午前7時30分小沢組の誰一人遅れる事なく第一ステージで撮影開始!応援撮影班、午後からオープンセットに入る。
午後20時浜本さん帰京。井出さんと交代。翌々日零時回り、再びセット替えした第一ステージで黒バック白ハックの「忍法霞網」のシズルを撮影、槍の飛びは何回も撮りましたが、軌跡が直線にならない為、岡垣判断でスチール撮影したものをデジタルトラッキング 合成と決定、このカットは東京に帰ってから私が仕事を増やす事で決着。
それでも未だ終わりが見えない。撮っても撮ってもカットがあります。
そして再び朝を迎える事になり、「月光を背にしたくの一・七人衆」の35mmブルーバック撮影になり、自分の担当する合成作業箇所の為、ブルーバックを細かく計測して皆に顰蹙を買う。井出さん「水戸黄門」の撮影の為、ステージを離れる。
その後も黙々と撮影。翌々日午前11時、本体撮影班、応援撮影班撮影終了!撤収後、奉行所セットでお疲れ焼肉パーティ。この作品は小沢仁志監督の作品に対する比類なきこだわりと気力が、京都の映画人を作品に向かわせたといっも過 言ではないと思います。
それにこの苛酷な撮影を、女性スタッフを始め全てのスタッフから不平不満が聞こえてこなかったのです。私も業界の端くれ者として大変試練になりました。その意味でも京都に行って良かったと思っています。ほんとに京都映画の皆さんお世話になりました。皆さんの熱意を盛り上げる様な味付け(合成)をこれからさせて頂きます!
ありがとうございました。
最後に「怪談・牡丹燈籠OTSUYU」と「くノ一外伝・柳生忍法帖」でお世話になった丸紅の斎藤さんが出張先のニューオリンズで急逝されました。享年31歳 。ここに慎んで御冥福をお祈り申し上げます。合掌。
1998.01.26 岡垣 亨
撮影現場メーキング!( 1997年12月20日)
Kunoich1 2月15日に松竹京都映画撮影所でクランクインした映画「くノ一外伝・ 柳生忍法帖」の撮影現場メーキングを 映画完成まで不定期ですが、お送りします。今回は12月20日に撮影されたS#69「加藤家・穴の中」の模様です。
Kunoich1 監督は「THE BIG FIGHT」の小沢仁志さん。特技監督は「怪談・牡丹燈籠OTSUYU」の小林浩一(コダイ)さんです。
技術スタッフは撮影・江原祥二さんと照明の土野宏志さんです。SFXは特殊メイクの原口 智生さん、操演は羽鳥博幸さんです。
Kunoich1 主演でもある小沢仁志さんは、この日厳寒の京都のスタジオで共演の佐伯ももかさんと一緒に洞窟の水溜りに体を漬けながら深夜まで迫力のある演技を展開していました。
これは見ているだけでも寒さが走る気分なのでした。
Kunoich1 この作品は来春公開後にVシネマとして二部に分けて市販(レンタル)されます。
一部は「江戸花地獄篇、二部は「会津雪地獄篇」です。また”くの一”シリーズは、数が多いVシネマの中でもヒットシリーズという事です。
Kunoich1 フィルムはイーストマンコダック社の7248と5248を使用。現像仕上工程は東映化学工業現像所です。使用しているキャメラは通常の箇所をArriflex16 SR & STと合成の箇所を Arriflex 35-3型です。今回もスキャニングはシネオン・デジタル・フィルム・スキャナーを使用し、合成・CG 作業は「ゴジラ」「モスラ1・2」等を手掛けたマリンポストと私共フロントラインが担当します。
Kunoich1 出演: 小沢仁志(柳生十兵衛・柳生但馬守矩の二役)
森山祐子
佐伯ももか
NON
田口トモロヲ  水上竜士  白鳥靖代  片桐竜次
スタッフ
プロデューサー:新井  義巳(キングレコード)  林  哲次(東北新社)
原作:山田  風太郎「柳生忍法帖」(角川文庫刊)
脚本:井上  淳一
監督・脚本:小沢  仁志
特技監督:小林  浩一(コダイ)
撮影:江原  祥二
照明:土野 宏志
操演:羽鳥  博幸
特殊メイク:原口  智生
殺陣:諸鍛治  裕太
助監督:林  稔充
製作主任:阿曽芳則
Kunoich1 右側は、斬新なルックとカメラアングルで挑む撮影の江原祥二さん。
左側は、日本的SFXを確立せんとす気鋭の特技監督の小林浩一さん。
このお二人がいなければ私の仕事は存在しないのです。でも撮影しない現場って気が楽でした。(筆者談)
Kunoich1 こうして午前9時から第一ステージで始まった撮影は翌日の午前1時まで及びました。CMや短編の撮影と違い長期間このリズムが続くのが辛いと実感しました。
正月明けの6日から予定では16日迄続くという事でした。皆さん頑張って下さい!
撮影快調!くノ一外伝・柳生忍法帖
撮影・山田  浩之(ビーアーティスト)  文責:岡垣  亨(フロントライン)
上の写真の著作権は(有)ビーアーティストにあります。無断で転載をする事を禁じます。
また本ページの文責は、岡垣  亨にあります。
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日経CG1998年4月号掲載
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